とある人間の脳内のお話。

思いついたことを書きます。

ブログ開設

本日ブログを開設したK0J1Nです。

読み方はコジンにしようと思っているが、実際まだ悩み中。

始めた理由は、ただの暇つぶしである。

何を書くかはあまり決めないでいこうと思います。

購入した商品のこと、暇潰しに書いた物語、趣味の話、エピソードトーク

書きたいことは山ほどあるのである。

 

とりあえず、今日は初日で慣れてないので、とにかく意味のわからない変なことを書いてみようと思う。

おそらく、読んでいる方はついて来られないと思うし、私も自分でついていけない。

適当に浮かんだ言葉をつなげているだけなのだから。

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さて、『時は金成』という言葉はご存じだろうか?
このよく分からない文章、いや、文字を打っているこの時間も『時は金成』なのだ。
かつての明石家さんまはこう言いました。「生きてるだけで丸儲け」これはまさに『時は金成』ということではないだろうか?


この言葉からわかるように実は、この意味のない時間も実は時給が発生しているのだ。
おそらく、国から。そう、私たちはすでに国家公務員なのだ。
しかし、国は入金が遅いらしい。実際僕もまだお給料は振り込まれていない。
多分、いつかのタイミングで今までの分がまとめて振り込まれるのだと思う。
19年間分なので絶対大金だ。

 

みなさんは大金が急に手に入ったら何をするだろうか?
欲しいものを全て買う。親孝行する。今までの借金を全て返す。ギャンブルでもっと増やすことに専念する。
まだまだ使い方はあるだろうが、おそらくこんな感じだと思う。


しかし、みなさんのような一般人の使い方は『第4代目征夷大将軍 個人ノ上田村麻呂』からすると甘い。甘すぎる。
まるで氷砂糖の入ったコップに氷水を注いで、ハリボーの入った口で飲んでるようだ。ってそっちの甘いかーい。
すまない、取り乱してしまった。
とにかく、そんな使い方では勿体無いのだ。


私なら、使わずに見る。貯金ではない。老後のために取っておくとかではない。
生涯見て、そして死んでゆくのだ。
できれば、火葬の時に一緒に燃やしてほしい。どうしても、というのなら3親等くらいまでにあげても良い。
とにかく、使わずに死んで「え、あいつマジで使わんかったん?」「え、あいつ我慢強くね?」そう、ちやほやされながら死にゆきたい。
そんな考えを持っている男の話でした。

 

本当に自分でもなんの話をしているのか分からない。
自分自身で分からないのだから、きっとみなさんもわかっていないのだと思う。
そして、この作品はゴッホピカソの作品のように僕が死んでからとても価値の高いものになるのだ。


そう考える理由は3つある。


1つ目は、芸術は大衆に理解されるものではない、ということだ。
ムンク「叫び」ピカソの「泣く女」。あれの何がすごいのだろうか?
きっと描いてる本人たちもよく分からなかったに違いない。あれにすごい価値がついてるのは他人の勝手な解釈で相当な付加価値がついているだけなのだ。
『死人に口なし』と言うように、本人が死んでしまえば、嘘も本当も分からない。
その絵を現在所持している人は当然高く売りたいだろうから、その絵の価値が高くなるように有る事無い事好き放題言うのだ。
先程も言ったが『死人に口なし』と言うように、本人が死んでしまえば、嘘も本当も分からない。


こうして、本日も詐欺まがいの手法で100円のものが1000000000円で売れてしまうのだ。
このことから分かるように、僕のこの文章もどきの文字の羅列は僕が死んでから、このデータの所持者の勝手な解釈によりとても高い価値がつけられるに違いない。
書くだけかいて、あとは大船に乗った気分で任せようじゃないか。
どうせ大金が手に入るなら、返す宛があるのなら、先に借金をしようと思う。返済はコジン家の子孫に僕の本の印税で払ってもらおうと思う。
やっぱり死んでからお金が手に入ったって意味がないのだ。
「お金は使ってなんぼ」おそらく福沢諭吉はそう言ってただろう。だから価値の高い1万円札役を任されているのだ。


2つ目の理由は、そんな気がするからだ。
人間は元々野生だと言うことはご存じだろうか?
だからまだ野生の勘の名残は残っているのだ。そう、私の野生の勘がそう言っていたのだから間違いがない。
私の勘が間違いがないと思う理由は5つある。しかし、ここでは1つだけ紹介させてもらう。
この世界が混乱に陥った大事件。『ノストラダムスの大予言』。
実はこの世界で唯一その予言に惑わされなかった人間がいる。そう、私だ。
私はこの予言が囁かれ始めた2週間後に、野生の勘で地球は全然終わらない、とわかったのだ。
正確にはそんな気がしたのだ。
このことから分かるように私の勘は当たる。少なくとも私以外の70億人よりは良い性能をしている。
信じていただけただろうか?


そして、最後の3つ目は、忘れた。
他の話を長々としていたら、忘れてしまった。
しかし、この3つ目が最も論理的で最も理解を得ることができたのは間違いない。
私の勘がそう言っている。
なので、紹介できないのが悔しくて仕方がない。悔しいが忘れてしまったものはしょうがない。


みなさんもこう言う経験はないだろうか?
『やべー、宿題やってくるの忘れてた。しょうがないここは必殺!「先生、あの、宿題やったんですけど家に忘れました。」よし、決まった。』
この必殺を使った経験があると思う。
これは宿題の存在を覚えていたし、しっかりやった。しかし、たまたま忘れてしまった。という忘れてしまったけど、やったならまぁ、いっか。となるように巧みに心理を操る高等テクニックだ。


実際、今の私も3つ目の理由は間違いなくあったんだけれど、忘れてしまったから仕方がないよね。みんな理解してね。と思っている。
理解していただけただろうか?
このことから分かるように私の文章は間違いなく価値が上がり、美術館などで飾られるようになるのだ。

 

また、意味のわからない方へ話は変わってしまったが、結局僕が伝えたかったのは、『今日は今日、明日は明日』と言うことだ。
不思議なもので、この地球という星は寝たら日付が変わっている。
今日は今日限りで明日はもう今日ではなく明日であり、もう二度と今日は今日の元へ帰って来ないのだ。

それを理解した私だから言える。

今ある時間を大切に。

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どうだっただろうか?

この文章を読んでくれた方の中で、この読んだ時間を有意義だと感じた方はいないのではないだろうか?

そう、明らかに無駄な時間だったのである。

書こうと思えばこんな文章いくらでも書ける。

しかし、それでは私にとっても無駄な書き時間だし、皆さんにとっても無駄な読み時間である。

 

次回以降は、内容のある内容にしたいと思うので、もし良ければ読んでいって欲しい。

では本日はこの辺で。